フォーリーブス、たのきん、少年隊、光GENJI・・・ジャニー喜多川の最高傑作を決めよう(前編)【宝泉薫】
何が奇跡かというと、まずはその発想。日本のフィクションで最も有名な美男子を連想させるネーミングといい、ローラースケートという小道具といい、ちょくちょく転んだり、上半身ハダカにもなるいたいけなパフォーマンスといい、さすがはジャニー、それも脂の乗り切った時期ならではの勢いにあふれていた。
メンバーの組み合わせも絶妙で、いかにもセンター的な自我を持った諸星和己もいれば、内海光司・大沢樹生のような再デビュー組の苦労人もいて、佐藤寛之みたいに地味なことが個性になる子までいる、という具合。デビュー曲を職業作家でなく、チャゲ&飛鳥(CHAGE and ASKA)に書かせたこともピタリと奏功した。声変わり前の赤坂晃のボーイソプラノが聴ける「STAR LIGHT」から「ガラスの十代」「パラダイス銀河」と続いた三部作(「ガラス~」「パラダイス~」は飛鳥涼が単独で担当)は歌謡史に輝く金字塔だ。
しかも、この時期はファンの層が分厚かった。団塊ジュニア世代(第二次ベビーブーマー)がちょうど中高生だったからで、追っかけの行動もエグイくらいにエスカレート。当時の合宿所が入っていた原宿のマンション前には毎日、大勢のファンが集まり、メンバーの出入りを見張っていたが、近くにトイレがなかったため、近所の中華料理店の階段あたりで用を足すようになってしまった。
当然、事務所は店から抗議されることに。もともと、ファン公害は存在していたとはいえ、この件が合宿所移転の決定打になったという。
「原宿、気に入ってたんだけどね。住めなくなっちゃったんだよ」
と、ジャニーはのちのちまで残念がっていたというが、そこにはこの第1期黄金時代への郷愁も作用しているのではないか。この合宿所には田原や近藤、東山紀之、そして、このあと、ジャニーズの象徴となる木村拓哉あたりまで住んでいたのだから。
なお、光GENJIの7人に今、第一線で活躍している人はいない。事務所に残っているのも、ふたりだけだ。そのあたりにも、アイドルとしての完結性というか、儚い美しさが体現されている。
それはのちのSMAPや嵐といった長寿グループには、見られない魅力だ。もちろん、長寿グループならではの安定した凄みというものもある。後編では、そこを中心に見ていきたい。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)